それが恋という感情だったのかは分かりません。ただT先生に誉めて欲しかったのです。T先生が福岡の柳川出身と聞き、北原白秋の「からたちの花」を英訳して読んで貰いました。この歌の最大の謎は
♪
みんな、みんなやさしかったよ♪の部分です。私はどうしても
gentleという言葉を使う事が出来ず
sweetと訳しました。すなわち
みんな
自分自身には優しい人だったという意味だと思ったのです。「
NUEまだ13歳だろ?」T先生はとても悲しそうな目をしていました。それから身の上話を始めました。自分はあまり大きくはないけど、料理屋の一人息子として生まれた。お店が忙しいからあまり構って貰える事はなかったけれど、両親の愛情だけは受けて育った。
だから「
俺はNUEの気持ちを分かってあげる事なんて出来ないし、NUEに『人の気持ちになって考えろ!』なんて言う資格もない。
でもNUEの周りがsweetじゃなくgentleな人達ばかりになる日が来るといいな?」と言ってくれました。
変なお説教をしないのが嬉しかった。「だけどまだ子供なんだからあんまり片意地ばっか張ってると疲れるぞ!肩幅はこんなに広いけどな!」T先生はふざけて私の肩を揉みました。
マリの様に後ろ向きにされる事はなかったけれども纏足も「皆の笑顔が見たいから」と私を一番、後ろの席に座らせました。「衣文掛けに大きな制服が干してあると思ったら君がいた!」と詰まらないギャグを言っては笑いを取る様な人でした。でもT先生に肩幅の事を言われても全然、腹が立ちませんでした。「sweetのままでいいからな!」それからT先生と私の英訳で「からたちの花」を歌いました。西日の差す午後の教室での事です。T先生は言いました。「NUEは大きな身体からは想像がつかない程、可愛い声を出すんだな?」纏足にも言われた事があります。「君の声と顔、全然似合ってないね?」よく似た言葉なのに私には全然、違って聞こえました。
大学を卒業しても就職の決まらなかった私は柳川に旅をしました。取りあえず、教員免許だけは取れた事は先生のお墓に報告しました。
どうして私を待っていてくれなかったのですか?ほんの7年なのに!
旅人と して訪れる町 春惜しむ
すみません。涙が止まらなくて今日はもう書けません!
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その先生には本当にお世話になりました。駆け出しの教員の頃もずいぶん助けて下さったし、私の連れ合いが心を病んで苦しんでいて、私自身も疲れ切っていた時、何度も家に遊びに来てくれ、支えて下さいました。その後、職場が変わってからはなかなか会えなくなってしまいました。でも、連絡をすればいつでも助けに来てくれるだろうと、心の内で頼りにしていたのです。
しかし、数年前信じられない知らせがありました。O先生は食道ガンでまだ三十代の命を落としてしまったというのです。1才と3才のお子さんを遺して。周囲の人たちにはあまり言っていなかったのですが、O先生はクリスチャンで(それも心の底からの)小さな教会が葬儀会場でした。会場の周囲にはかつての教え子が溢れかえっていました。そして、遺影を見た時、私の目頭はカッと熱くなり、涙が止まらなくなりました。写真の中でO先生は、相変わらずこっちを睨み付けていたのです……。
今の職場でも、私は直接知らないのですがN先生という素晴らしい先生がいて、長く白血病と闘っていたそうですが、42才で亡くなってしまいました。
T先生はまだお若かったのですか?本当に残念でしたね……
森忠明は早世してしまった親友のために作品を書き続けてきました。愛すべき人ほど早く逝く。その理不尽さは何故なのでしょうか?