「
大好きなマイ・スクール!卒業したくないよ!え〜ん
」中学の時にE子が文集に書いた言葉です。後期は「
私は清く正しく明るく生きて生きたい!」だったカナ?(抱腹絶倒です!)そしてタイトルが私の書いた短歌でした。「なんだか分からないけれど君が暗い人だと言う事だけは分かった!」担任だった纏足は言いました。皆は性やおしゃれに目覚める年頃の様ですが、私は別に彼も洋服も欲しくはありませんでした。望みはただひとつ
眠りたい!T先生、中世君、ポケット小僧。楽しい事もあったけれど、あまりに辛い事が多すぎました。中学ではスカートを捲くり、縛り上げるという苛めが流行ました。私は毎日の様にこれをやられました。京樽などの前を通り掛かってその料理の名を目にすると自然と足が速まります。私にこれをしたのはE子達だけではありません。私の方がテストの成績が良かった時に後期を始めとする優等生グループにこれをされて「今度からはわざと間違えないとこのままの格好で学校中を引きずり廻す!」と脅かされました。優等生だからこそ他人の成功を妬みます!
ブロマイド(私は女優気取りだそうです!)とか
お見合い用(私では恋愛は出来ないそうです!)と言われて写真もたくさん撮られました!私がこの格好にされているのを見て纏足は手を叩いて笑いました。「普通は頭まですっぽり入るんだけど、君はやっぱり大きいんだね?」おそらくはマリと違って悪気はなかったのでしょう。その事が余計に腹立たしく感じられました。「男子がやったんだったら先生もその子のズボンを引き摺り下ろすけど、女の子同士のスカートまくりなんて先生が中学の時だってやったよ!
君はいつもツンとして、皆の中に入っていかないからE子さんだって仲間になって欲しくてやってくれているんだと先生は思うな?」私にはどうしてもそうは思えませんでした。私のブルマーが黒板に張り出された時に纏足は大きな声で叫びました!「君のヒップって大きいんだね?」された行為よりその言葉が悔しくて机に伏して泣きました。「別に泣く程の事だとは先生は思わないけどな?」それでも泣き止まない私の前で纏足は「
そんな大きな身体していい加減にしないと先生も怒るぞ!」と拳にハアーと息を吹きかけて見せました。ゲンコツを振るう相手が間違っていませんか?中学生に対して接するにしては態度も幼稚すぎます。
卒業した後、クラスメートでボーリングに行こうと誘われました。どうしてノコノコ出かけて行ったのか未だに分かりませんがボーリングがどういうモノなのか興味があったのは事実です。しかし
27cmという靴がありませんでした。「馬鹿の大足!」「だから○先生が早目に纏足をしておけば良かったと仰ったじゃない?」「そう言えば、お前いつも運動靴ばかりで皮靴履いてるの見た事ないな?」女子達からは散々と揶揄されました。「
ねえ。あんたOLになっても会社に運動靴を履いて行くの?」後期の言葉に堪えていた涙が溢れ出し、ボーリング場を飛び出しました。「
ただでさえお父さんがいないのにこの足では私はいくら勉強しても会社には入れないんだ!」と思ったのです!
ポケット小僧だけが追い掛けて来てくれました。「皆と楽しんで来なくていいの?」「俺も足が小さ過ぎて、靴がなかったよ!」子供用もあるのだから、多分それは嘘なのでしょう。それからハンカチを差し出しました。そのハンカチがとても汚れていたのを憶えています。(そういえばこの子にもハンカチを洗濯してくれる様なお母さんはいないのだ!)「卒業式でも泣かなかったのはNUEちゃんだけだもんな!俺、ずっとNUEちゃんの事を尊敬してたんだ!」二人で鞦韆(ブランコ)に乗ってお話をしました。ただそれだけの淡い想い出です。
半仙戯 友が男子と 気づくかな
半仙戯とは鞦韆の事です。「男子と口を利いたらリンチにかける!」E子に脅かされ、実行にも移されました。「でも卒業したのだからもうビクビクしなくてもいいんだ!!」と思ったのです!
タイトルの短歌を作った頃にはネビル・シュートの『渚にて』を読んでいました。働くのが嫌だった母は人工衛星の軌道が逸れたというニュースを聞いては「地球にぶつかり爆発しちまえばいい!」と口にし、強盗によって一家が惨殺されたという報道を目にすれば「家にも殺しに来てくれればいいのにね!NUE!」と喚きました。「そうすればもう仕事をしなくても済む!」と言うのですが、こんな話を聞かされながら育てば子供の心は歪みます。私は大人になってからも同僚が要領よくサボる事が許せないと思っても仕事そのものが辛いと考えた事はありません。母の様なみつともない人間にはなりたくなかったからです。母がまだ自分の足で歩ける頃に、「入院の日に家族が付き添って来ないのはみっともない!」から「会社を休め!」と要求して来た事があります。まったくの社会経験のないマダムでもないのに仕事を何だと心得ているのでしょう?これから手術だ何だとなれば立会いの為に否応なしに会社を休まなければならないのに入院の日の付き添いくらいで休める訳がないじゃないですか?それでも私の事を「冷たい娘!」と罵りました。そうであったとしてもお母さんの育て方が悪かったから、私がこういう性格になったのですから自業自得です。私は生●を理由に会社を休んだ事なんてありません。休まなかっただけ休んだ人よりは軽い証拠だと言われた事もありますが、そうとは限りません。私は点滴を打ってタクシーを使ってまで会社に行きました。病院代と車代を合わせれば1日分の稼ぎには遥かに及びませんが、その方が休んでお金を貰うよりは誇り高いと思ったのです。母子家庭の子でもやれる事を見せなくてはなりませんでした。
動くモノ ゴキブリだけの 地球かな
母とは違った意味で私は戦争が起こってもいいと思った事があります。自分が死ぬかもしれないけれども、あいつらだって死ぬんだ!そして私は生に対する執着という物がさほどにありませんでした。でも短歌の中では自分だけをちゃつかりと生き残らさせて、独りで図書室の本を読む姿を想定しました。『渚にて』を読んで南半球という言葉にも憧れたから南米にも行って来ました。「拷問部屋でマリに泣かされてひとつに見えた大陸の上を歩いている!」そう考えると感慨も一入でした!だから大人になってからはとても幸せだったのです!
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何を言ってるんでしょうね?頭にきます。
マリのように悪意がなくても、無神経すぎます。
これで教師なんて…。この纏足も教師失格ですね。
それにしても、後期は本当に醜い心を持った人間ですね!
「私は清く正しく明るく生きて生きたい!」
…笑いました。こんな醜い人間が、このままで済むわけが無い!と思っています。